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東京地方裁判所 昭和21年(ワ)1033号 判決

原告 瓜生茂樹 外六名

被告 菊岡登代

一、主  文

被告は原告等に対し東京都中央区銀座六丁目三番地十所在木造トタン葺平家一棟建坪九坪九合一勺六才を收去し其の敷地十八坪七合七勺を明渡し且つ右十八坪七合七勺に付昭和二十年十月一日以降右土地明渡済に至る迄一ケ月一坪金二円の割合による金員を支拂うべし。

原告等の其の余の請求は棄却する。

訴訟費用は全部被告の負担とする。

二、事  実

原告等訴訟代理人は、被告は原告等に対し東京都中央区銀座六丁目三番地十所在木造トタン葺平家一棟建坪十二坪を收去し其の敷地十九坪六合二勺を明渡し且つ昭和二十年十月一日以降昭和二十三年十月十日迄は一ケ月三十九円二十四銭、昭和二十三年十月十一日以降昭和二十四年五月三十一日迄は一ケ月二百十四円四十五銭、昭和二十四年六月一日以降右土地明渡済に至る迄は一ケ月六百三十七円二十六銭の割合による金員を支拂うべし、訴訟費用は被告の負担とする旨の判決並に担保を條件とする仮執行の宣言を求める旨申立て、其の請求の原因として、東京都中央区銀座六丁目三番地十所在宅地三十坪二合六勺は元原告等の先代瓜生正雄の所有であり昭和二十二年五月三十一日同人の死亡に因り原告等が共同相続を爲して其の所有権を取得した。然るに被告は何等の権限なくして昭和二十年九月末頃右地上に請求趣旨記載の家屋を建築所有し爾來飲食店を経営して不法に其の敷地十九坪六合二勺を占有し以つて原告等に対し其の賃料相当の損害を蒙らしめている。仍つて右建物を收去し其の敷地の明渡を求むると共に被告が右敷地の占有を始めた後である昭和二十年十月一日以降土地明渡済迄請求趣旨記載の割合による賃料相当の損害金の支拂を求める爲本訴に及んだと述べ、被告の抗弁に対し原告等先代正雄が前記宅地上に木造三階建家屋一棟を所有していたが、戰災に因り燒失したこと、被告に対し其の主張の頃より右家屋の一階と三階の各一部を賃貸していたこと、及昭和二十一年九月二十日被告より本件土地賃借の申出があつたことは認めるが、右罹災当時被告の賃借権は既に消滅していたから被告は土地賃借の申出を爲す権利を有しない。即ち右罹災家屋はアパートであつて、被告に対しては、その一階と三階の各一部を間貸していたに過ぎず、その賃貸借に付ては一ケ月でも賃料の支拂を怠り又は空室にして居住しないときは賃借権は抛棄したものと看做す旨の特約があつたところ被告は昭和十九年四月以降の賃料を支拂はなかつたのみならず、被告は別に中央区銀座八丁目一番地に居住し前示貸間は單に腰掛式の飲食店舗として営業時間中のみ使用して居たに過ぎず、而も昭和二十年三月頃よりは埼玉縣に疎開して了つて全然右借間には寄付かなかつたものである。仍て右特約により右家屋の罹災前既に被告はその賃借権を抛棄したものと看做され、賃貸借関係は消滅していたものである。仮に抛棄なしとするも被告は罹災当時の居住者ではなく又單なる間借人に過ぎなかつたのであるから土地の賃借申出権を有しない從つて被告の爲した賃借の申出は何等罹災都市借地借家臨時処理法(以下單に処理法と称す)による効果を生じ得ない。又仮に賃借申出権ありとしても原告先代は昭和二十一年十月五日発信の書面を以て右申出拒絶の意思表示を爲し該意思表示は当時被告に到達している、而して右拒絶に付ては次の如き正当の事由が存するのである。即ち、原告先代正雄は荒川区尾久町八丁目二千七百番地に於て医師を開業していたが昭和二十年四月十三日戰災を蒙り一時千葉縣に疎開し其の後原告等と共に現住所に移つたが昭和二十二年五月死亡した。然し原告先代の二男たる原告孝男は既に日本医科大学を卒業し又長男たる原告茂樹も昭和二十三年九月には同大学を卒業し医師を開業することになつていたので原告先代は同人等のために本件土地に病院を建築すべき計画であつたので被告よりの申出を拒絶したのである。其の後原告先代並に原告等は本件土地に病院兼住宅を建築すべく諸般の準備を整えていたところ被告が無断本件土地を占有したので前記賃借申出前より屡々その明渡を求めていたのである、先代死亡後も原告等は其の遺志を継ぎ先代の方針を変えず、而も原告等の現住所は家族九人の住居としても狹い上に原告孝雄は開業しているので医療には全く手狹で可及的速に病院を建設する必要があり而も原告茂樹も現に医師の資格を得て兄弟共同して医業に從事すべき実情にある。即ち本件土地は右の如く原告等に於て之を使用する必要があるのであると述べた。<立証省略>

被告訴訟代理人は請求棄却の判決を求め、答弁として、原告主張事実中本件係爭土地を含む宅地三十坪二合六勺が原告等の所有なること、被告が右宅地上に建物を建築所有し其の敷地を占有していることは認める。但し建物の建坪は九坪四合であり敷地は十八坪一合五勺である。右土地の適正賃料額が昭和二十年十月一日より同二十三年十月十日迄は一箇月一坪二円であつたことは爭はない。其の余の事実は否認する。被告は大正十二年九月頃より前記宅地上に原告等先代が所有していた建坪十八坪三階建の木造家屋一棟の一階全部と三階の一室を賃料一箇月一階は六十八円三階は十五円で賃借していたところ昭和二十年五月二十四日右建物は、戰災に因り燒失した。右罹災後原告の住所不明であつた爲、原告に無断で昭和二十年九月末頃前記被告所有の家屋を建築したが其の後田中正之助、諏訪良美、伊藤博文等を通じ家屋敷地の賃借方を申入れ原告の了解を求むべく交渉して來たが昭和二十一年九月十八日発同月二十日到達の書面を以て原告に対し処理法に基く土地賃借の申出を爲した。之に対し原告より同年十月五日附当時到達した書面を以て右賃借申出を拒絶する旨の意思表示があつたが右拒絶に付ては何等正当の事由が存しないから被告は法定期間の経過と共に本件土地賃借権を取得したものである。仍て不法占有を理由とする原告の請求は失当であると述べた。<立証省略>

三、理  由

東京都中央区銀座六丁目三番地十宅地三十坪二合六勺が元瓜生正雄の所有にして原告等が正雄死亡により原告主張の日時相続により其の所有権を取得したること、被告が昭和二十年九月末頃右地上に家屋を建築所有し、その敷地を占有していることは当事者間爭がない。仍て被告の抗弁に付按ずるに原告先代瓜生正雄が本件地上に木造三階建家屋一棟を所有し大正十二年九月頃より被告に対しその一階と三階の一部を賃貸していたこと、昭和二十年五月二十四日戰災に因り右建物が全部燒失したこと、被告が原告に対し昭和二十一年九月二十日右被告所有建物の敷地に付賃借申出の意思表示を爲したこと、原告が被告に対し同年十月五日発当時到着の書面を以て右申出を拒絶する旨の意思表示を爲したことは当事者間に爭なき所である。而して原告は右燒失家屋の罹災当時被告の賃借権は特約に因り消滅していたと主張し、証人吉田勉及原告瓜生茂樹本人は原告等主張の罹災家屋の賃貸借に付ては一箇月でも賃料の支拂を怠り又は空室にして居住しなかつたときは賃借権は抛棄したものと看做して賃貸借関係は消滅する旨の特約が存在した旨供述するけれども、該供述の結果は被告本人訊問の結果に照し措信し難く、他に原告主張の如き特約の存在した事実を認むるに足る何等の証拠も存しないから、右主張は採用することを得ない。原告は、仮に被告に賃借権ありとするも被告は罹災当時の建物の居住者でなく、又間借人に過ぎないから賃借申出権はないと主張するけれども、罹災建物滅失当時に於ける建物の借主たる以上現実に居住していた者でなくても賃借申出権を有すべきことは処理法第二條の明文上明であり、証人吉田勉、諏訪良美、被告本人の各供述を綜合すれば、被告は賃借人として独立且專属的に前示賃借部分を占有使用していたこと明であるから、被告が処理法第二條に所謂建物の借主たること勿論である。從て原告の右主張も亦理由がない。

然し乍ら、被告の主張は処理法第二條の規定による賃借権設定のありたることを同法の手続に依らずして通常の訴訟たる本訴に於て抗弁として主張するものであるが、此の設定に付設定当事者間に爭ある場合には、同法第十五條、第十八條に基き管轄地方裁判所が非訟事件手続法により其の裁判を爲すのであつて、民事訴訟による通常訴訟によるのではない。而して同法立法の趣旨に考えれば、此の種紛爭は可及的に迅速に且つ実体的眞実に合致せしめるため特に非訟事件手続法により職権主義を以て爲すべきことを規定したのであり、通常の民事訴訟による審査手続を排斥したものと解すべきである。旧法第十八條が此の裁判を区裁判所の管轄とし、現行法が地方裁判所の管轄として居るのは何れも所謂職分管轄であり即ち專属管轄であるから、訴訟物の價額如何に拘らず第一審として旧法当時は区裁判所、現行法の下に於ては地方裁判所のみが、而も非訟事件手続法により裁判すべきである。固より一旦処理法所定の手続により確定せられた権利関係に付後に紛爭が生じた場合には通常の民事訴訟により得べきであるが、そもそも当事者間に処理法第二條所定の賃借権設定に付爭ある場合は、処理法の手続によらずして民事訴訟により確定を求むることを得ない。此のことは、原告が通常民事訴訟の形式に於て訴訟物として賃借権の確定を求むる場合たると、被告が抗弁として賃借権の存在を主張する場合たるとを問わなない。蓋し後の場合を許容すれば反訴が可能となることの矛盾の起ることに徴するも明である(但し被告が別に処理法による確定の申立を爲しつつ、訴に於て此の事実を抗弁として主張することは可能であり、爭ある場合には先決問題として、訴の手続を中止するを相当とする)。或は反対説を爲す者は処理法第十五條に所謂賃借権の設定又は賃借権の讓渡に付て爭ある場合には同條及同法第十八條により非訟事件手続法による確定を爲すと、之に依らずして通常の確定の訴に依るとは当事者の自由にして其の何れに依るも妨げなしとするのであるか、本來訴以外の簡易なる方法によつて当事者間の紛爭を解決し得る場合には、民事訴訟の確定の訴は権利保護の利益なしとして之を許さざるを原則とするのであり、此の原則の例外を処理法が特に許容したものとは到底解し得ない。此のことは同法第二十五條が第十五條の裁判に裁判上の和解と同一の効力を附與して居る事実に徴するも明である(所謂裁判上の和解に既判力ありや否は暫く措き、此の裁判により賃借権の確定せられた限り、同一の当事者間に同一の確定を別に訴の形式を以て主張する利益は存しないのである)。

以上の如くであるから(而して被告が本訴と別に処理法による申立を爲して居ないことは弁論の全趣旨よりして明である)、被告の右抗弁は本訴に於て主張することを得ざるものと謂うべく之を採用することを得ない。

果して然らば、被告の本件係爭土地占有の権限に付ては何等之を認むべきものなきに帰するから被告は原告に対しその建築したる建物を收去し、その敷地を明渡し且つ被告が占有を初めたる日以降明渡済迄賃料相当の損害金の支拂を爲すべき義務あること明である。而して被告が占有する本件土地に付ては、その範囲に付爭の存するところ成立に爭なき甲第二号証によれば建物の敷地は十八坪七合七勺(建物は九坪九合一勺六才)なることが認められ他に右認定に反する証拠は存しない。仍て原告が被告に対し右建物を收去し其の敷地十八坪七合七勺の明渡を求める部分は正当として認容すべきも、被告に於て其の余の土地を占有する証拠は存しないから其の余の部分に対する明渡の請求は失当として棄却すべきものとする。

次に損害金の額に付按ずるに、昭和二十年十月一日以降同二十三年十月十日迄の適正賃料額が一箇月一坪二円なることは当事者間爭がないから同年十月十一日以降同二十四年五月三十一日迄は昭和二十三年十月九日物價廳告示第一〇一二号により昭和二十四年六月一日以降土地明渡済迄は同日物價廳告示第三六八号により夫々改定せられたる額を以て相当賃料額と認むべきところ、本件土地の賃貸價格及土地の等級に付何等の主張立証なく算出の基準明確を欠くから前記爭なき一箇月一坪二円の範囲内に於て原告の請求理由ありと認むべく、仍つて原告が被告に対し右十八坪七合七勺に付その占有を始めた後である昭和二十年十月一日以降土地明渡済迄一箇月一坪二円の割合による損害金の支拂を求むる部分は之を認容すべきも其の余の請求は理由がないから之を棄却すべきものとする。尚前記認容部分に付ては特に仮執行の宣言は附せざるを相当と認め、その宣言をなさない。

仍て訴訟費用の負担に付民事訴訟法第八十九條、第九十二條を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 鈴木忠一 恒次重義 田辺公二)

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